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我が命の削り節。
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皆様ご心配をおかけ致しました。
水なしガスなし電気なし食料なしのサバイバル生活をしておりましたが、
ようやくガス以外のライフラインが復旧しました。

『震災記録:初日』--------------------------------
3月11日の地震当日は、部屋で作業をしておりました。
その数日前から三陸沖で比較的大きな地震が起きておりましたので、今回も揺れ始めはその余震だとばかり思っていました。
やがてこれまでの人生で経験したことのない激しい揺れになり、机上にクッションを敷いてiMacを寝かせるのが精一杯。
直後に停電し、部屋の中のありとあらゆる物が飛び交い、立っているどころか四つん這いすら困難な状態に。
揺れは全く治まらず、室内の壁にメリメリっとヒビが走った時点で外への脱出を決意しました。
まともに歩けない揺れのなか、なんとかアパートのエントランスに到達すると物凄い音と共にレンガ壁が崩落。
もうちょっとで下敷きになるところでした。

なんとか外に出て道路上で揺れをやりすごしていると、町内の集会場に避難するようにアナウンスがありました。
ご近所の方々と言葉を交わしながら集会場に向かうと、そこから目と鼻の先にある用水路が一瞬で溢れ出してきました。
どこからともなく「津波だ、小学校に逃げろ!」と叫び声が聴こえ、来たばかりの道を小学校に向けて戻りました。
想像を絶する犠牲者を出した今回の津波もこの辺りが最終到達点だったらしく、用水路脇の道路を陥没させただけで止まってくれました。

念のため小学校の4階まであがってしばらく待機していると、今度はラジオから「家のブレーカーを切って避難するように」とのアナウンス。
この時点では今回の津波があれほど凄まじいものだとは知る由もなく、揺れもおさまった頃にいったん部屋にブレーカーを落としに戻りました。
実はこの頃、海岸地帯では未曾有の惨事が進行中だったのですが、それを知ったのは数日後のことです。
先ほどまで青空だったのが地震直後から雪が降り始め、気温も急激に下がっていきました。
部屋に戻ってみると、もう足の踏み場もない状態。
なにもかもメチャクチャに投げ出され壊れていて、iMacがクッションの上におとなしく鎮座していたのが唯一の救い。
とりあえずブレーカー遮断とガスの元栓を閉め、貴重品と非常持出し袋をもって再び小学校に戻りました。

やがて日が傾き、寒い夜がやってくると、見渡す限りの暗闇の中に港方面の大火災だけが見えました。
それでもまだこの時点では、自分が避難民になるとは思っていませんでした。
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