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我が命の削り節。
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もう春のはずなのに、夜が明けてみれば数cmの積雪。
今日は欠乏する食料を確保するため、限定営業開始とのアナウンスのあった生協に並ぶことに。
午前10:00から開店という情報をもとに、余裕をみて8:30には店舗に到着。
ところが店舗前には既に長蛇の列。
結局、一人10点までと制限のついた食料を購入できたのは午後2:30。
なんと朝から6時間も立ちっぱなしで並んで、手に出来たのはカップ麺やら煎餅やら。
これは今後も相当な食糧難が待っていそうな気配。


『震災記録:2日目』--------------------------------
震災の初日は、あっという間に夜になってしまいました。
避難所となった小学校体育館に水や食料があるわけでもなく、むしろ風邪でもうつされる方が心配でアパートに戻ることに。
非常持出し袋には手回し発電の懐中電灯を入れていたため、それをキコキコと回しながら部屋に向かいました。
完全な暗闇に包まれた地上に比べ、空を見上げれば信じられないほどたくさんの星々が瞬いていて、なんとも不思議な気分になりました。
いざ部屋に戻ってみると、ガスも電気もアウトで片付けすら出来ない事に気付きました。
食器や額縁といった割れ物が至る所に散乱しており、やむなく土足で室内に入りました。
そうしている間にも頻繁に大きな余震が襲って来て、そのたびに部屋のあちこちで何かが飛んだり崩れたりするため、ここで寝るのは無理と判断。
幸い、偶然にもアパートの空き部屋の窓が地震で外れて出入り出来る状態になっていたため、隣室の人と一緒に布団を持ち込んで仮眠室にさせて貰うことにしました。
夜通し鳴り続ける救急車と消防車のサイレン、激しい余震と寒さのために、全く眠れない夜を過ごしました。

翌朝、あらためてアパートの中と外を確認してみると想像以上の損壊で、暗澹たる気分に。
このあたりから「ついに自分も避難民になるのか」と覚悟し始めました。
とりあえず情報を得るため避難所に向かうと、ちょうど朝の食料が配布されているところでした。
ラップに包まれたオニギリ1個でしたが、これがいつ炊き出されたものかは分かりません。
体育館は市の指定避難所なので、こんな時のためにある程度の備蓄がされていてその米を使ったのかも知れません。
避難所の運営をしているのは、会話内容から察すると、この小学校の教員の方々のようでした。
皆さん、家族やご自身も被災されているはずなのに、避難民のために黙々と仕事をされていて頭が下がります。
情報を求めてきたものの、この時点ではラジオが何台かあるだけで新聞もTVもなく、欲しい情報は入手できませんでした。
電気がつかないため、明るいうちに部屋の片付けをしないといけないと思い、配給のオニギリを持って再び帰宅すると、さっきまで出ていた水が止まっていました。
これで電気ガス水道のライフライン全てがダウンしたことになり、想像以上に事態が悪そうだと気付きはじめました。
携帯電話は全くといって良いほど繋がらず、そうこうしているうちに電池が切れてしまいましたが、この時点ではまだ部屋の固定電話が使用可能でした。
幸運なことに故郷の実家には繋がり、とりあえず無事を伝えることが出来ました。
配給のオニギリを食べ終えてから部屋の後片付けに着手しましたが、とにかく徹底的なまでにメチャクチャで、どこから手をつけて良いのか呆然とするばかり。
どんなに片付けても全く作業の進展を感じられないまま、再び真っ暗な夜がやってきました。
隣室の方に固定電話を使わせて欲しいと言われたのでどうぞと勧めたところ、さっきまで通じていたのにウンともスンとも言わなくなっていました。
ついに信頼していた固定電話まで不通となってしまい、これ以降は暇さえあれば手回し発電機で携帯を充電することに。
今夜は避難所に行くのはやめて、部屋にストックしてあった菓子パンで夕食を済ませ、昨夜と同じ空き部屋で夜を過ごしました。


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