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我が命の削り節。
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昨日の積雪は昼のうちに溶けて、今日は朝から雲ひとつない青空。
ガスが使えないので七輪が大活躍していたんだけど、そろそろ炭のストックが切れそう。
自転車で隣駅の近くにあるDIYセンターに炭を探しにいったら、朝9:30の時点で300mくらいの大行列。
昨日6時間も並んだばかりだから、さすがに今日は諦めて他のショップの偵察に変更。
すると、家から一番近いコンビニが仮設営業をはじめていて、運良くオニギリやらゴミ袋、シャンプーなどを購入できた。
気を良くしてあちこち周辺の偵察を続けると、居酒屋さんが店頭で自家製オニギリを販売してたり、JA農産物直売店も再開してたりと、徐々に流通・販売が復旧しはじめているのを確認。
とはいえどこも長蛇の列で、並ばずに何かを買えるようになるのが待ち遠しい。


『震災記録:3〜4日目』--------------------------------
震災3日目になると、さすがに避難所の運営も板に付いた感じになっていました。
しかしそれに反比例するように、肝心の物資が著しく欠乏しはじめていました。
これは単なる推測ですが、行政が想定していた災害避難民の数というのは、せいぜい市民の二割程度だったのではと感じています。
備蓄物資はたったの三日で枯渇し、各避難所では「食料はもうありません、避難所も一時休業します」という貼り紙が見られました。
避難所の運営にあたっていた皆さんも疲労の限界だったでしょうし、それは仕方ないことだと思うのですが、せめて避難民からボランティアを募って運営を引き継ぐとか、何らかの工夫をして欲しかったです。
避難所が機能しなくなったため、結果的に家にこもって後片付けをする時間が増えて作業は進みました。
片付けの過程で発掘できた缶詰などの保存食を集めてみたところ、もってせいぜい2日ぶん。
こりゃヤバイなぁと思っているところに、今回の震災では最も被害が軽微だった地区に住む彼女が食料を差し入れてくれました。
彼女の住む地区ではガス以外のライフラインも当日から復旧していて、倒壊家屋もみられず、スーパーの品揃えも豊富とのこと。
多少並ぶ程度で買えたのよと、新鮮な野菜と七輪、練炭を沢山もってきてくれました。
わざわざタクシーで乗り付けてくれたのですが、さすがにタクシー業界も燃料が枯渇していて、そろそろ営業できなくなるとのことでした。
電気のつかない日々というのは本当に日中が短くて、あっという間に夜がやってきます。
日が落ちてしまうとローソクか懐中電灯しか灯りがないため、ほとんど何もできません。
七輪で野菜炒めを作って夕食を住ませると、今日の作業でようやく片付いてきた自分の部屋に布団を戻しました。
今まで緊急避難部屋にしてもらっていた空き部屋に感謝。

震災4日目の朝は、とりあえず避難所の様子を見に行くことからはじめました。
昨日の貼り紙で避難所は数日間休業するとなっていましたが、体育館や教室に寝泊まりしている皆さんがどうなったのかも気になります。
避難所の中枢になっている体育館ステージに行ってみると、昨日までとは違う顔ぶれの方々が何やら難しい顔で打合せをしていました。
どうやら新しい運営陣が着任したようです。とはいえ物資は何もないようで、昨日はステージ上で情報を流していた大型TVも、発電機の燃料不足からか電源が切られていました。
震災当日よりもむしろ事態は悪化しているような印象すら受け、とりあえず飲料水の確保のために遠出して偵察することにしました。
大きな川を超えた隣町の一角にあるローソンに小さな行列があるのを発見し、様子を見てみると、店先の水道が出ているようで店長さんらしき男性が「ここの水、でます。どうぞ使って下さい」と呼びかけていました。
店内の商品は全て放出してしまったようでしたが、周囲の殆どのコンビニが固く扉を閉ざしていたのに反して、このローソンだけは扉を開けて水洗トイレまで24時間解放していました。
普段あまり利用したことのない店舗でしたが、この災害から復興したら常連客になろうと思いました。
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もう春のはずなのに、夜が明けてみれば数cmの積雪。
今日は欠乏する食料を確保するため、限定営業開始とのアナウンスのあった生協に並ぶことに。
午前10:00から開店という情報をもとに、余裕をみて8:30には店舗に到着。
ところが店舗前には既に長蛇の列。
結局、一人10点までと制限のついた食料を購入できたのは午後2:30。
なんと朝から6時間も立ちっぱなしで並んで、手に出来たのはカップ麺やら煎餅やら。
これは今後も相当な食糧難が待っていそうな気配。


『震災記録:2日目』--------------------------------
震災の初日は、あっという間に夜になってしまいました。
避難所となった小学校体育館に水や食料があるわけでもなく、むしろ風邪でもうつされる方が心配でアパートに戻ることに。
非常持出し袋には手回し発電の懐中電灯を入れていたため、それをキコキコと回しながら部屋に向かいました。
完全な暗闇に包まれた地上に比べ、空を見上げれば信じられないほどたくさんの星々が瞬いていて、なんとも不思議な気分になりました。
いざ部屋に戻ってみると、ガスも電気もアウトで片付けすら出来ない事に気付きました。
食器や額縁といった割れ物が至る所に散乱しており、やむなく土足で室内に入りました。
そうしている間にも頻繁に大きな余震が襲って来て、そのたびに部屋のあちこちで何かが飛んだり崩れたりするため、ここで寝るのは無理と判断。
幸い、偶然にもアパートの空き部屋の窓が地震で外れて出入り出来る状態になっていたため、隣室の人と一緒に布団を持ち込んで仮眠室にさせて貰うことにしました。
夜通し鳴り続ける救急車と消防車のサイレン、激しい余震と寒さのために、全く眠れない夜を過ごしました。

翌朝、あらためてアパートの中と外を確認してみると想像以上の損壊で、暗澹たる気分に。
このあたりから「ついに自分も避難民になるのか」と覚悟し始めました。
とりあえず情報を得るため避難所に向かうと、ちょうど朝の食料が配布されているところでした。
ラップに包まれたオニギリ1個でしたが、これがいつ炊き出されたものかは分かりません。
体育館は市の指定避難所なので、こんな時のためにある程度の備蓄がされていてその米を使ったのかも知れません。
避難所の運営をしているのは、会話内容から察すると、この小学校の教員の方々のようでした。
皆さん、家族やご自身も被災されているはずなのに、避難民のために黙々と仕事をされていて頭が下がります。
情報を求めてきたものの、この時点ではラジオが何台かあるだけで新聞もTVもなく、欲しい情報は入手できませんでした。
電気がつかないため、明るいうちに部屋の片付けをしないといけないと思い、配給のオニギリを持って再び帰宅すると、さっきまで出ていた水が止まっていました。
これで電気ガス水道のライフライン全てがダウンしたことになり、想像以上に事態が悪そうだと気付きはじめました。
携帯電話は全くといって良いほど繋がらず、そうこうしているうちに電池が切れてしまいましたが、この時点ではまだ部屋の固定電話が使用可能でした。
幸運なことに故郷の実家には繋がり、とりあえず無事を伝えることが出来ました。
配給のオニギリを食べ終えてから部屋の後片付けに着手しましたが、とにかく徹底的なまでにメチャクチャで、どこから手をつけて良いのか呆然とするばかり。
どんなに片付けても全く作業の進展を感じられないまま、再び真っ暗な夜がやってきました。
隣室の方に固定電話を使わせて欲しいと言われたのでどうぞと勧めたところ、さっきまで通じていたのにウンともスンとも言わなくなっていました。
ついに信頼していた固定電話まで不通となってしまい、これ以降は暇さえあれば手回し発電機で携帯を充電することに。
今夜は避難所に行くのはやめて、部屋にストックしてあった菓子パンで夕食を済ませ、昨夜と同じ空き部屋で夜を過ごしました。


皆様ご心配をおかけ致しました。
水なしガスなし電気なし食料なしのサバイバル生活をしておりましたが、
ようやくガス以外のライフラインが復旧しました。

『震災記録:初日』--------------------------------
3月11日の地震当日は、部屋で作業をしておりました。
その数日前から三陸沖で比較的大きな地震が起きておりましたので、今回も揺れ始めはその余震だとばかり思っていました。
やがてこれまでの人生で経験したことのない激しい揺れになり、机上にクッションを敷いてiMacを寝かせるのが精一杯。
直後に停電し、部屋の中のありとあらゆる物が飛び交い、立っているどころか四つん這いすら困難な状態に。
揺れは全く治まらず、室内の壁にメリメリっとヒビが走った時点で外への脱出を決意しました。
まともに歩けない揺れのなか、なんとかアパートのエントランスに到達すると物凄い音と共にレンガ壁が崩落。
もうちょっとで下敷きになるところでした。

なんとか外に出て道路上で揺れをやりすごしていると、町内の集会場に避難するようにアナウンスがありました。
ご近所の方々と言葉を交わしながら集会場に向かうと、そこから目と鼻の先にある用水路が一瞬で溢れ出してきました。
どこからともなく「津波だ、小学校に逃げろ!」と叫び声が聴こえ、来たばかりの道を小学校に向けて戻りました。
想像を絶する犠牲者を出した今回の津波もこの辺りが最終到達点だったらしく、用水路脇の道路を陥没させただけで止まってくれました。

念のため小学校の4階まであがってしばらく待機していると、今度はラジオから「家のブレーカーを切って避難するように」とのアナウンス。
この時点では今回の津波があれほど凄まじいものだとは知る由もなく、揺れもおさまった頃にいったん部屋にブレーカーを落としに戻りました。
実はこの頃、海岸地帯では未曾有の惨事が進行中だったのですが、それを知ったのは数日後のことです。
先ほどまで青空だったのが地震直後から雪が降り始め、気温も急激に下がっていきました。
部屋に戻ってみると、もう足の踏み場もない状態。
なにもかもメチャクチャに投げ出され壊れていて、iMacがクッションの上におとなしく鎮座していたのが唯一の救い。
とりあえずブレーカー遮断とガスの元栓を閉め、貴重品と非常持出し袋をもって再び小学校に戻りました。

やがて日が傾き、寒い夜がやってくると、見渡す限りの暗闇の中に港方面の大火災だけが見えました。
それでもまだこの時点では、自分が避難民になるとは思っていませんでした。
寒いと思ったら、最高気温が1度だそうな。

夏の猛暑と多忙が響いたのか、秋から年末年始にかけては心身ともグロッキー。
突然物凄い濃度の血尿(というか血液そのものって感じ)が丸一日続いたり、
病院での定期検査では採血時にぜんぜん血が採れなくて何度も注射器刺されたり。
年が明けて学校業務が再開すると、やたら目眩と吐き気が。

昨年はゴタゴタのダメージから抜け出すことすら出来ずに終わってしまったので、
今年はなんとか体勢を立て直したいところ。


全然関係ない話だけど、黒猫姉妹の里親募集情報です。
飼い主のお爺さんが亡くなって路頭に迷ってたところを保護されたのですが、
一時保護者宅には白猫さんが先住していて負担が大きいそうです。
一匹でも二匹でもイラッシャイなお方は、ぜひお力を。


詳細はコチラ。
http://ginkaiko.blog20.fc2.com/

実際に黒猫姉妹に会わせて貰いましたが、初対面でも膝の上でゴロゴロするほど
人間大好き猫でした。まだかなり若いようです。
前回の記事では「まだまだ暑い」なんて書いてあったけど、一ヶ月以上経過した現在は朝晩どころか日中も肌寒い。

大学と専門学校の授業の他に、晩夏あたりからは福祉関連の研究所の依頼も加わって、貧乏暇なしに拍車が掛かっている。
今年は積極的に学生さんのリクエストに応えて居残りで面倒みたりしているせいか、とにかく時間が幾らあっても足りない。

たぶん、こうして自分から進んでテンテコ舞っているのは、そうしているほうが余計な事で悩んだり落ち込んだりしないで済むからなんだろうなぁと思ってみたり。


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